餃子の街「宇都宮市」で鍼灸院・整骨院を開く

日頃より、沢山のご紹介とご愛顧に心より感謝申し上げます。
この度は、生まれ育ちそして鍼灸院・整骨院を開いた宇都宮市についてお話してゆきます。

宇都宮市の名前は二荒山神社

宇都宮二荒山神社:出典はウィキペディア

今は、全国的に餃子の街として有名になっています。

ここ、宇都宮市は栃木県の県庁所在地です。

古くは宇都宮二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ ふたらやまじんじゃ)の信仰と共に発展してきました。

一方で、日本有数の商業工業都市です。通産省が定める、テクノポリスの実現を目指しています。(宇都宮・真岡・芳賀・高根沢で構成)

平出、清原の工業団地を中心に、優良企業が進出し、人口51万人の街です。

宇都宮市は、人と最先端産業・学業・住居の調和した街づくりを目指しています。

餃子が大好きな街「宇都宮」

私の家では小さい頃より大皿に25個ほどの焼き餃子と、他に水餃子、揚げ餃子をおかずにご飯を食べていました。

餃子が大好きな街なんです。

美味しいと評判な店は「みんみんさん」や「正詞さん」が有名です。

みんみんさんは大衆に食べやすい味で、正詞さんはたれが少し辛口の大人の味です。

プロの焼いた餃子は絶品で、宇都宮で餃子を食べたいと言う方にはおすすめです。

宇都宮市の地名由来

地名の出所は、宇都宮二荒山神社とも、座主であった宇都宮氏ともいわれています。

二荒山神社を指していた別号「宇都宮 大明神(宇津宮 大明神)」が、いつしか地名としていわれるようになったという説と宇都宮氏の氏名が、いつしか地名に変わったという説があります。

いずれも、宇都宮二荒山神社の別号「宇都宮大明神」からでたものである事は一致しています。

●名前の由来

「宇都宮」大明神と名前がついたのは、諸説あります。

  • 栃木の旧名下野国の一の宮が、一の宮だけが多く用いられ、訛ってうつのみや。※2
  • うづき高き宮が訛って「うづの宮」
  • 武徳の神の威光である、御稜威(みいづ)の宮が訛って「いづの宮」
  • 武徳の神で、敵を討つという「討つの宮」
  • 神社が現在の場所に移った、移しの宮「うつしの宮」※3
  • 武徳の神を現す、「現(うつつ)の宮」

などです。

●昔の呼び名

この頃は、宇都宮を指していたのは、水辺・橋など景色や建造物や神社でした。

  • 川に囲まれ、沼や池の水が多い事から、「池辺(いけのべ)」:現豊郷台付近※4
  • 田川の石橋を指して、「古多橋(こたはし)」:現下河原町付近※5
  • 宇都宮大明神(現 二荒山神社)を指して、「宇豆宮、宇津宮」:現パルコ前

地名ではなく、宇都宮大明神を意味し、その周囲の土地も含めて呼ばれていました。※6

私は、ここで生まれて東京で鍼灸・整骨の勉強と修行をした後、故郷の地で開業いたしました。これからも宇都宮市の皆様の健康維持と美容鍼でお役に立てるよう研鑽に努めて参りますので、応援よろしくお願い致します。

※1宇都宮氏

宇都宮氏の祖は、藤原宗円とされます。藤原宗円が、二荒山の神主と宇都宮城の初代城主を、兼任した事にはじまります。宇都宮氏は、近隣の町と婚姻関係を結びました。以来、22代550年に渡り、下野(現 栃木県)、常陸を治める基盤を築きました。

二代 宇都宮城主 宗綱(宗円の兄の次男)の時代から、神号の「宇都宮氏」を名乗りました。

宇都宮氏は、子孫がこれを継承し世に知られてゆきました。宇都宮を地名として呼ぶようになったのは、平安時代末期〜鎌倉時代、三代宇都宮城主であった、宇都宮朝綱から後の事でした。

※2うつのみや

当時は、国で神道・仏教を重要視した時代でした。
国で最も崇敬される神社を、大宮あるいは一の宮といいました。
宇都宮二荒山神社は、下野国一之宮といわれた事から「一の宮」だけが多く用いられ、「うつのみや」となまったという説です。

※3うつしのみや

353(仁徳天皇41年):
豊城入彦命の6代目(奈良別王)が、荒尾崎にご先祖様(豊城入彦命)を神格としてお祀りしました。
838(承和5年):神威を高める為、荒尾崎(現 パルコ前)より臼ヶ峰(現 明神山)に本社を移されました。

※4 「河内郡、池辺郷」※「和名抄(931ー938 平安時代中期)」

現宇都宮市は、河内郡に属し、池辺といわれていました。
池辺は、旧宇都宮町と 豊郷地区の周辺を含めた地域と考えられています。

※5 1189(文治5年7月)

「着御子、下野国古多橋驛、先御奉幣宇津宮、有御立願、今度無爲令征伐者、生虜一人可奉于祌職云々」:「吾妻鑑、東鑑(あづまかがみ)」
宇津宮は、地名ではなく 臼が峰にある二荒山の別号(宇津宮 大明神)でした。
古多橋駅は、現下河原町と考えられています。
「宇都宮、ヲンタと言う所なり、川幅二間の川に石橋あり、これを古多橋という」
:「下野風土記」

※6 1165(永万元年)、三代 朝綱の時代

年貢注文に「宇豆宮、上馬二匹」:※「神祇宮諸社」地名ではなく神社を指していました。

参照:
角川日本地名大辞典、栃木県の地名 日本歴史地名大系、
宇都宮郷土史 徳田浩淳著、
宇都宮の歴史と文化財、式内社調査報告、栃木県教育委員会、wikipedia

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